仮面ライダーオーズについて語る

 

10周年ということで、完結編の情報も出てきましたね、仮面ライダーオーズ

 

 

平成2期の中でも、1,2を争うくらいいい作品なので、みんな見てください。

 

 

そんなオーズについて個人的おすすめポイントを語ってみたいと思う。

 

 

おすすめポイント1:メダル争奪戦

 

平成ライダー後半でよくある、ベルトと何かを組み合わせて変身するやつですが、オーズはコアメダルというメダルを使って変身します。

 

そのコアメダルが、仮面ライダーオーズの変身アイテムであると同時に、敵怪人たちの体を構成するためのアイテムでもあるので、お互いに奪い合うことになります。

仮面ライダーは初代から共通して、「悪と同じ力を持っているけど心は正義」みたいなコンセプトがあり、平成ライダーの変身アイテムも、ライダーの変身アイテムと敵怪人の使うシステムが元々同じもの(だけどちょっと違うもの)であることが多いです。

敵のシステムを奪って、浄化したり、ライダー用に開発しなおしたり、なんかよく分からないけどライダーが使うのより怪人が使うものの方が禍々しい感じのデザインだったりしますが、

 

オーズは完全に同じメダルなのです。

実はこれはけっこうめずらしいと思っています。

 

そしてその奪い合いによるパワーバランスが変わるところが面白い

怪人側が自分のメダルを集めて力を取り戻すということはオーズは変身できる力が減っているということだし、逆に怪人からメダルを奪えば怪人は弱体化してオーズは新たな力を得るということ。

そのために、オーズ側も怪人側も、いかに相手からメダルを奪うか、みたいなことになるんですよね。

話が進むごとに順当にパワーアップしていくだけでない、他の仮面ライダーとは違う魅力もあります。

 

 

おすすめポイントその2:フォームチェンジ

 

メダルで変身することは触れましたが、オーズはメダルを3枚組み合わせて変身します。

頭と腕と足にそれぞれ割り当てられたメダルがあって、それらを駆使して変身します。

同じ色のメダル3枚だとコンボという強いフォームになりますが、もちろん反動もあります。

なので、コンボでないフォームも使って戦うのですが、理論上オーズの変身可能なフォームは100種類以上になります。

変身アイテムいっぱい出してフォームチェンジもいっぱい出してる他のライダーと違って、頭、腕、足の組み合わせでのフォームチェンジなので、すっきりしつつフォーム数があると思います。

 

ダブルのハーフチェンジと、オーズの亜種コンボは、仮面ライダーのフォームチェンジ史上最高のものだと思います。

 

 

おすすめポイントその3:アンクの存在

 

アンクってやつがいます。

アンクは怪人ではありながらオーズに協力している存在です。

オーズの相棒的な存在、といったん考えてもらって構いません。

 

アンクの思惑とか、生きざまとかは、第1話から最終話まで通して注目してください。

 

 

アンクに限らず、敵怪人は、欲望をモチーフにされているので、怪人たちや登場人物の欲望というのもキーワードになります。

 

 

 

そんなもんですかね。

 

特に平成2期前半は、フォームチェンジに振ってたためか、ライダーの数があんまりいないのが気になりますね。

フォームチェンジの数は、そのフォーム分、ライダーの姿の数であり変身アイテムの数であり、それはおもちゃ展開の幅広さでもあるわけですが、やはりストーリーにそぐわない謎強化みたいなのはあんまり好きではないですね。

おもちゃ売るためだけに、劇中で使いもしない変身アイテム作るのは好きではない。

 

そういう意味では、オーズは最初からメダルの数が限られていて、その中で綺麗にやっていったという意味でも個人的には納得できます。

 

ぜひ仮面ライダーオーズを観て、来年春の完結編を待ちましょう

ライブしたい

 

ライブしたい!

 

したいっていうのは、ライブで演奏したいというよりも、ライブをイチから作りたいってことで。

 

 

 

ひょんなことから、ひげだんのライブに誘われて行きまして。

まあ特に好きでもなく嫌いでもなく、たまに聴くときにメロディーはいいなあって思ってたりしてた。

 

そんな感じで行ったもんだから、ライブをもちろん聴いてはいるんだけど、それよりもライブ構成とか演出とかPA的な目線とかで見てしまって

歌詞とリンクした照明演出とか、イケイケゴリゴリ音圧で押すときとか、アコギの音ピックアップで拾ってるなあとか、映像の演出とか

もちろんプロのライブで、技術も設備も桁違いにすげえんだけど、

 

 

 

自分がサークルで培ったPA技術とか映像編集とかライブ構成のときの考え方みたいなのを、もっと極めたいし、もっとやりたいなあっておもった。

 

 

 

 

 

1曲に込められた思いみたいなのは、音楽やってる人ならほとんどの人が大事にしようと思ってるとおもうけど、

 

 

 

セットリストとか、アルバムの収録順みたいな、曲と曲の並び方とかにも音楽性があると思っていて、

 

 

 

そして複数バンドが出演してたサークルライブでは、出演者の色があって、出演順を並び替えることでそのグラデーションで最終的なライブの形が様々変わるものだと思っていて、

 

 

 

過去に関わったサークルライブの出演順を今考えなおしたら、きっと違うものが生まれるだろうなって思っているし、違うものを生み出す自信もある。

 

 

 

自分が力のある演奏者でなかったが故の、俺なりの音楽への挑戦だったかもなあとも思いつつ。

 

ライブ構成とか、CD制作とか、そういう部分まで含めた音楽活動に復帰したいなあと思いながらも、今日を生きることに必死。

選択的夫婦別姓とキラキラネーム

 

最近よく話題にあがる、名前に関するふたつの話題。

 

 

ひとつめ。

選択的夫婦別姓賛成派の意見として、制度手続き上の問題と、ジェンダーアイデンティティーの問題があるらしい。

 

制度上の問題は、別姓の通称使用というよく言われる解決方法だけでなく、苗字が変わっても煩雑な手続きしなくてすむようなシステムの構築が必要だと思う。

銀行では結婚して苗字が変わったら旧姓の口座からお金下せないとか聞いたことあるけど、そんなちゃちなことしてんなと言いたい。

行政も然り、その他のサービスも然り、苗字が変わったことでそれに伴う手続きをいちいちしていかないといけないのは面倒くさいと思うし、改革の余地があるところだとは思う。

 

それよりも、もうひとつの問題について。

結婚したら、女性が男性に嫁入りして、女性の姓が男性のものに変わるというのは古い時代のしきたりみたいなものというのはわかる。

今の時代、男女平等でというのもわかる。

ゆえに、男性が女性の姓を名乗ることもなんにもおかしくないと思う。

だけど、結婚して別姓で暮らしていくの?

 

曰く、姓にアイデンティティーを持っているから。

 

親から受け継いだだけの姓に?

 

 

 

 

 

ふたつめ。

キラキラネームがよく話題になっている。

 

キラキラネームの定義はさておき、他人とは違う、その子だけの名前を与えたいという気持ちからつけられることが多いだろう。

両親がつけるにしても、親族なり友人なりが名付け親となったとしても、届を出すのは両親だろう。すなわち最終決定権は親が持っていると考えてよい。

 

その子が大きくなって将来何を考えるかはさておき、

 

親につけられた名をアイデンティティとして人は生きていくのか?

 

 

 

 

 

 

 

ふたつの話題の共通点は

 

「名前はアイデンティティたりえるか?」

 

というところにある。

 

 

 

どこかのテレビ番組で、林修先生が言っていた。

世界に誇る日本人メジャーリーガーイチロー選手は、名前ではなくその業績で自らを示していると。

イチロー選手の本名なんて、銀行の記入例みたいなありふれた名前だけど、それでもあの人はすごいひとであるとみんなが認めている。

名前とは、姓も名も、親から与えられたものである。

アイデンティティは、自らが生きていくうえで確立していくものではないか?

アイデンティティはその人が何を為したかによって形作られるのではないか?

 

 

名前がアイデンティティとか言ってる人を見ると、「中身ねえのかなあ」と哀れに思ってしまう。

 

あんまりまとまらなかったけど、最近勉強してておもったことである。

8月32日、水曜日。

 

失われた夏休み。

 

何かを取り戻すために今日を生きる。

 

 

自分の精神状態を示す軸が3本あると分かった。

 

ポジティブかネガティブか。

外向きか内向きか。

攻撃的か防御的か。

 

 

今までのところ攻撃性はいつも自分を向いているが、

 

いつかその攻撃性が他人を向いたときが怖い。

 

 

 

友人知人が取材されて

 

「普段は温厚な性格で、こんなことする人とは思わなかった」

 

って言うのだろうか。

 

 

 

 

 

行き止まりと分かっている道を往く。

 

最奥にたどり着いたとき、自分はどうするのか。

 

 

 

 

なんでもいいけど、お寿司が食べたい。

自分だったらどう感じる?

 

「あなただったらこれをされてどう思うの?」とか

「あなたが人からこれをされてどう感じるの?」とか

 

「あなたもこれだったらいやでしょう?」とか

「あなたもこれを見たらこう思うでしょう?」とか

 

 

いや、僕はそうは思わないですけど。

てなる

 

 

もちろん、他人、世間一般、大多数のひとがこう思うことが多いとか、

そこから自分がずれてるとかは理解してたほうがいいし、

ある程度は理解しているつもりだし、

それはそれでいいんだけど、

 

 

「自分だったらどう感じる?嫌だと思うでしょう?みんなもそうだよ。」

 

 

的なニュアンスは嫌い。

 

これは自分が言われたときの話。

 

 

 

 

まわりのひとが、他の人に言ってるのをみたときには、

 

いや、自分がされてもどうも思ってないからしてるんだと思いますよ

 

って横やり入れたくなる。

 

そして案の定、

 

『いや、別に自分はどうとも思いませんけど。』

 

って平然と言いのける。

 

 

 

 

 

なので、俺は言わないようにしてる。

 

 

「世間の多くのひとは、それされたらこう感じると思わない?」とか

「俺がそれされたら、嫌な気持ちになるなあ」とか

 

相手に価値観を押し付けたらあかんと思います。

 

 

 

 

 

 

あなたは他人から価値観押し付けられたらどう感じるかしら?笑

マンダロリアンについて語る

 

先日、機種変更時にディズニープラス加入1年無料と言われたので、ずっと気になっていたマンダロリアンを見るために加入し、ついにシーズン2までの全話視聴を終えた。

 

結論から言うと、とても良かった。続きも楽しみである。

 

 

ルーカスフィルムがディズニー傘下になってからのスターウォーズ作品としては最高レベルのものであるとおもう。

ちなみに私は、旧三部作、新三部作、続三部作と、クローンウォーズ全シリーズ、ローグワン、ハンソロを視聴済である。

 

以下、ネタバレを含む可能性があるため、未視聴の方は注意されたし。

ちなみに、マンダロリアンを視聴されるなら、本編映画9作品とクローンウォーズを視聴しておくと、存分に楽しめると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンダロリアンの時代設定は、エピソード6より後、帝国崩壊後の世界である。

新三部作のような、銀河共和国のきらびやかな世界というよりも、

旧三部作のような、銀河帝国の圧政下の荒廃した世界からの地続きである。

アウターリムテリトリーを中心にストーリーは進み、みんな大好きタトゥイーンも出てくる。

 

当然、ジェダイオーダーは崩壊しており、ルーク・スカイウォーカーがオーダー再建に尽力しているところであるか。

そもそもマンダロリアンというのが何なのかというと、惑星マンダロアに由来する戦闘民族であり、かっこいい装甲服と、ブラスターピストルはじめ様々な武装で戦う戦士である。

ジェダイがおらず、マンダロリアンがメインの作品ということで、ライトセーバーをぶんぶん振り回す戦闘はほとんどない。

 

私のイメージを言うと、マンダロリアンという作品は、

 

スターウォーズの世界観で展開される西部劇』

 

といったところだろうか。

 

 

 

 

ここからマンダロリアンを見て私が思った、いいところを語りたい。

 

 

①新旧三部作の設定に(わりと)忠実

 

続三部作の悪口から始まるのは申し訳ないと思う。

続三部作および反乱者たちでは、特に宇宙人の設定・デザインが、良くも悪くも、いかにもディズニーといった感じの可愛らしさを含んでおり、それがスターウォーズの世界観にそぐわなかったと思う。

 

マンダロリアンに出てくる宇宙人種族の多くは、新旧三部作やクローンウォーズでも出ている、由緒正しい(?)種族である。彼らの出演が、この作品をよりスターウォーズたらしめている。

ドロイドにおいても然り。過去作で出演したドロイドの同型が多数出演している。

 

シーズン2では、過去作品出演人物も多数出演している。

特にクローンウォーズで活躍した人物たちが、帝国時代は息をひそめ、帝国崩壊後に再び活動を始めた、という雰囲気が私は好きである。

彼らの掛け合いも、語られないスターウォーズの世界観を広げている。

 

 

 

スターウォーズの世界観で展開される西部劇のような物語

 

映画作品での目玉のひとつは、ライトセーバー戦であるが、マンダロリアンでの戦闘は主にブラスターでの撃ち合いである。

ジェダイなら、敵のブラスターの弾をライトセーバーで撃ち返して制圧するだろうが、マンダロリアンは純粋な銃撃戦である。

多数の敵を確実に一人ずつ撃ちぬいていく場面も、1対1での早撃ちの場面も、どちらもかっこいい。

ただ、マンダロリアンアーマーの防御力はいささかチートではないかと思う部分もある。

 

 

実を言うと、マンダロリアンにおいても、ライトセーバー戦も見どころではあるのだが。。。

 

 

③主人公のお人よしさ

 

マンダロリアン、そして賞金稼ぎとして生きる主人公が、賞金首であるザ・チャイルドを見過ごすことが出来ず救うことから物語がはじまり、その後の旅でも、各地での頼まれごとを、何かにつけて言いくるめられ請け負ってしまうところが愛らしい。

戦闘民族マンダロリアンと主人公の性格でバランスを取っているともいえる。

 

 

 

④残された謎

 

次のシーズンに向けての考察が捗る。

 

シーズン2最終話においては、一応のハッピーエンドを迎えたともいえる。

主人公は当初の目標を果たしたわけであるが、ザ・チャイルドのその後、主人公のその後、どちらも次のシーズンが楽しみである。

 

タイトル『マンダロリアン』が重要な意味を持っているかもしれない。

 

 

(追記)

⑤音楽がよい

 

スターウォーズのテーマや、帝国のマーチのような、スターウォーズの曲には華々しさと力強さみたいなものがあるが、マンダロリアンのテーマは、いい意味でスターウォーズらしさがなく、荒野で生きるマンダロリアンのイメージにぴったりである。

 

 

極力ネタバレも避けつつ書いたつもりである。

もっと語りたいこともあるし、スターウォーズ全体としても語りたいことは多い。

また、反乱者たちやバッドバッヂも見てないのでどんどん見ていきたい。